おはようございます。
運動不足でスポーツクラブ復帰を目論んでいる桜井です(行かない理由を探しているうちはダメだよね)
若くても老いても死というものは恐ろしいものです。
死でなくても、病気やショッキングな出来事もできれば避けたいと考えます。
しかし死は必ず訪れ、病気やショックキングな出来事も容赦なく降りかかってきます。
それも突然に。
そのように受け入れがたい出来事が降りかかった時、人間はどの様なプロセスをたどるかということを示したのがキューブラー・ロスです。
彼は200人を超える患者のインタビュー結果から自分が死を間近に迫っていると知ってから受け入れるまでには5つのプロセスがあることに気づいたのです。
そのプロセスは「否認と孤立」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の5段階です。
目の前で惨劇や悲惨な出来事が繰り広げられても同じです。
嘘だとまず拒否するところから始まります。
だから、事故や惨劇を目撃した人は必ず「信じられない」というのです。
しかし現実は拒否しても逃避しても変わらないことに気づきます。
すると「なぜ自分だけ」とか「何も悪いことをしていないのにこの仕打ちか」とか言って怒り始めるのです。
この怒りのタチが悪いところはどこに怒りの矛先を向けていいかわからないことです。
ここが長くなると自分はもちろん、周りも疲弊します。
余命宣告されて取り乱すのは否認と怒りが瞬時に巡るからです。
ドクターはここを理解しておく必要がありますね。
怒りはある程度行くと交渉へと変わります。
それは現実の一部を受け入れているからです。
つまり選択の余地がないこと受け止めるために少しでも受け取りやすくする希望を探すのです。
しかし、どの様な解決策を用いても徒労に終わるため、疲れ果てエネルギーがなくなっていきます。
そして時間が経つにつれて気づくのです。
「避けようがない出来事や事実は変わらない。
だったらこれを糧に少しでできることしておこう」と。
これこそ受容した瞬間であり、気持ちが前に向く瞬間でもあります。
それまで止まっていた時計が再び動き始めるのです。
このプロセスは人生において出来事をネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかの2択で幾度となく問われます。
物事をポジティブに捉えることはこのプロセスを短時間で受容できることを意味しています。
この時大切なことは「どんな時でも希望を持つこと」です。
希望が無ければ人はいつでも道を踏み外すからです。
「たとえ明日、世界が滅びようとも私は今日からリンゴの木を植える 」
とドイツの神学者 マルティン・ルター はいっていまし。
どんなに辛いことがあっても明日はきっといい日になると信じて生きていくしかないのです。