「居場所のない家」

おはようございます。桜井です。
今回はボケなしです。
叱咤激励と言う言葉がありますよね。
あんなもの親が子供に投げかけたらただの虐待です。
自分も長男だったことと、母親が更年期だったこともあり子供の頃から受けていました。
愛情が無いのではなく思い通りにならない子供をなんとかしたくてつい言い過ぎたことも分かっています。
だけど居場所が奪われた家でした。
ただ街には同じような友達が多くいたので気になりませんでした。
前向きで明るく優しい友達に恵まれていたので思い悩むことはなかった様に思います。
今でも実家に全く愛情を感じませんし帰りたいと思ったことなど一度もありません。
自立した後は親子の関係は悪くはありません。
今や温泉に連れて行くほど関係は改善しています。
それでも前に父親が実家を売り払う時、生まれ育った家がなくなるのは悲しいと言っていましたが自分にはその感情に理解は出来ても共感は出来ませんでした。
人間は知らないこと経験していないことは分からないのです。
昔、気の合う先輩が友人の家に泊まった時、こんな暖かい家庭があるんだとショックを受けて人知れず涙した話を聞いた時、先輩の気持ちがとてもよく分かりました。
暖かい家庭に育った人にはやはり分からないでしょう。
そんな自分にも愛を学ぶ機会が訪れます。
子供が生まれて半年も経たず障害者になってしまう悲惨な事故に遭ったおよそ2年後栃木に引っ越したことから始まります。
環境を変えたことで付き合う人も当然変わります。
引っ越し先が障害者支援に力を入れていたことが幸いし看護師さんや養護学校の先生方、理学療法士、ヘルパーさんなどの愛情溢れるサポートをしてくれる人達に出会うことになったのです。
看護師や理学療法士はまだ同じ業界なので理解できますが養護学校の先生やヘルパーさん、1番理解できなかったのは栃木にいた時、自宅で行うリハビリに女子高校生のボランティアが来てくれたことでした。
 リハビリは何年も続きますから卒業前には後輩を連れて来てくれて引き継ぎまでしてくれて転居するまでの4年間を切らすことなくお手伝いしてくれたのです。
子供の頃、ボランティアをするボーイスカウトをやりたいと母親に言ったら「そんな金にならないことするんじゃない」と言っていましたから人は金でないと動かないとばかり思ってました。
そんな自分は会う人会う人が心根の優しい人達ばかりで戸惑いました。
ある時、ボランティアの女子高校生に「何でボランティアしているの?バイトの方がお金になっていいでしょう?」と聞いたら「人の役に立ちたくて」とサラッと言ってのけたのです。
もちろん学校の先生の後押しもあったのですが縁も所縁もない我が子の為にリハビリを楽しそうに手伝ってくれるのですから「あぁこう言う天使の様な人達も本当にいるのだな」とはじめて知りました。
そしてこれこそが愛なのだなと30歳にしてはじめて知ったのです。
全ての出来事には意味があるのです。

横浜 青葉台 さくら歯科クリニックあおば 院長 櫻井直樹
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