「慎重と心配性は違う」
おはようございます。
けっこうな心配性、いえ、慎重な桜井です。
「ゴルフのパターはパターがボールに当たる前にカップに入るか入らないか決まっている」と言われたらあなたはどう思いますか?
これはカップインしたかどうかで論じてはならないということです。
結果はランダムなので誰にも分かりません。ですから結果でものをいうのは何の意味もないことなのです。
パターを打ってしまったら結果はどうあれ受け入れるしかありません。
例えば、飛行機に乗ってニューヨークに行こうと言われて躊躇している人がいたとします。
訳を尋ねると「飛行機が落ちたらどうするのだ」ということでした。
では「船ならいい?」と聞くと「船が沈没したらと考えると怖くて乗れない」という。
だから行かないと。
行動する前に検討しリスクを回避することはとても大切な事です。
その上で断念する選択もあるでしょう。
しかし、このケースは検討するに値しません。
なぜなら、結果を予測して心配しているだけだからです。
先程も申し上げた通り、結果にフォーカスしても無駄です。ランダムのため誰も結果は分からないからです。
心配すべきは原因です。
なぜ飛行機は落ちるのか?確率はどれ位で、リスクを感じるほどのことなのか?船の座礁確率は?飛行機と船のリスクはどれ位違うのか?など調べることは色々あるはずです。
その上で最悪の結果を招く原因がなければ踏み切れますよね。
それを検討も検証もせず感情だけで判断するから浅はかな人と見られ、2度と誘われることはなくなるのです。
人生は選択です。選択が正しかったか正しくなかったかは誰にも分かりません。
しかし、一つだけ言えることは「しない」という選択より「する」選択の方が間違いなく良いということです。
なぜなら「する」選択は結果はともかく、経験や成長が得られるからです。
ただし犯罪や人に迷惑をかけることはダメですよ。