おはようございます。
イソップ童話の「北風と太陽」をご存知ですか?
ある日、北風と太陽が力自慢をしています。
北風も太陽も
「確かに君には力がある。
でも一番強いのは僕だよ」
と、どちらも引きません。
「じゃあ、あそこに歩いている旅人の、
服を脱がせたほうが勝ちってことにしよう」
まずは北風から始めました。
「あの旅人の服を吹き飛ばしてみせるよ」
と言いながら、「ビュー!」と、
冷たい風を旅人に勢いよく吹き付けました。
そしたら旅人は、「なんて寒いんだ」
と言いながら、更に一枚、服を取り出して、
今の服の上に重ねて着込んだのです。
それでも北風は負けまいと、
「ビュー!」と、冷たい風を旅人に吹き続けました。
しかし、旅人は、飛ばされないように、
服をしっかり押さえ、体を前かがみにして
歩き続けたのです。
北風は、とうとう諦めました。
「こんどは僕の番だ」
太陽はそう言うと、まず、ポカポカと暖かく、
そしてやさしく照らしました。
旅人は、「ポカポカといい陽気になってきたぞ」
と、重ね着していた服を1枚脱ぎました。
そして、太陽は、更にやさしい日差しを当て続けたのです。
歩いていることもあり、旅人は汗ばんできて、
ちょうど川沿いがあったので、一休みすることにしました。
太陽はその時、ここぞとばかり、
ジリジリと強い日差しで
旅人を照りつけ始めました。
旅人は、「こりゃたまらん!」と言って、
服を全部脱ぎ捨て、目の前の川に飛び込んだのです。
これを教育に置き換えると如何に「勉強しなさい」と言う言葉が無駄かよく分かります。
旅人が子供だとすると親や世間は北風の様にあの手この手で勉強させようとします。
子供は勉強した方がいいのだろうなとは思っている分、自己概念を守るため頑なに勉強しない様になるのです。
ですからまずは北風を止めること。
そして太陽の様に照らすことで子供自身に勉強したいと思わせることが必要になります。
実際に何をするかといえば「傾聴」です。
「なぜ勉強するのか?」「そもそも勉強する必要があるのか?」「どんな時に役に立つのだろうか?」などと禅問答に近い問いかけをすることです。
この時、絶対にやってはいけないことがあります。
「否定すること」です。
どんな答えが返ってこようが肯定しなければなりません。(賛同はしなくてもいいのです)
これを無条件肯定と言います。
そして自分も子供も納得いくまで問答を続ける。
自分の意見はあくまでも自分の主観にある正解です。
目的は子供が勉強を受容することなのです。
人間は誰しも成長したいと考えています。
それは子供も大人も同じです。
物事を自分の立場に置き換えると分かりやすいですがそれでは共感することは出来ません。
それは同情です。
あくまでも相手の立場に立って物事を考えられなければ共感することは出来ず子供を自己受容に導くことが出来ません。
気が遠くなりほど時間がかかり労力もかかりますが子供が育つ以上に自分が成長しているのは間違いないでしょう。